災救隊 宮城・福島へ(3月23日記)
被災地に“命の水”を
給水活動を展開
3月16日に急派された給水車に同行した道友社記者のルポ(天理時報3月27日号掲載)の中から、災害救援ひのきしん隊(=災救隊・田中勇一本部長)の給水活動の記録を一部抜粋する。
◇ ◇
3月16日に奈良県天理市をたった給水車は、被災地への中継地となる新潟教務支庁を経て、宮城と福島の両県へ向かう。
3月17日午後4時、おやさと隊から引き継いだ新潟教区隊が、給水車3台と緊急車両で、拠点となる宮城教務支庁に到着。
3月18日、新潟教区隊は早朝から迅速に行動開始。前日の市水道局などとの打ち合わせで決まった現場3カ所へ向かった。
午前9時半、市内の高台にある緑ケ丘地区へ。すでに120人ほどの被災者が列をつくるなか、給水活動を行った。
緑ケ丘地区から約500メートル離れた鹿野本町の現場では、仙峰分教会を拠点に給水活動を実施。周辺の住宅地を給水車で回った。また、ボランティアセンターと連携して給水に当たった松山町では、水を求める被災者が途切れることなくやって来た。
これと並行して、福島県では、県立医大病院の依頼を受け、3月17日午後、給水車2台でタンクへ水を運ぶ作業に従事した。
一方、宮城教区隊は、大津波で甚大な被害に見舞われた太平洋沿岸部を視察。行政との折衝のうえ、給水車が必要な現場を探した。
その一つ、福島との県境にある宮城県山元町は、沿岸部一帯が水没して町の3分の1が壊滅したという。
実動2日目の3月19日。新潟教区隊は、前日の現場で給水活動を展開するとともに、給水車1台を山元町へ。行政の手が届かない地区4カ所に水を配って回った。
同日午後には、さらに給水車2台が宮城教務支庁に合流。翌20日から、宮城教区隊が探し当てた沿岸部の現場などへ、新潟教区隊が給水車5台で乗り込んだ。
また、多賀城市では、50人が避難している公民館で給水活動を行った。
3月22日までの5日間、被災地で実動した新潟教区隊員は延べ121人、供給した水は約66・5トンに上った。
◇
なお、以降の給水活動は、栃木教区隊が給水車を引き継ぎ、3月23日から3月28日にかけて実施する予定。
また、埼玉教区隊は3月20日から、給水車5台で岩手県へ出動。3月31日まで被災地で給水活動に従事する。
(3月23日記、天理時報3月27日号から一部抜粋)